手ぶら登園保育コラム

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みんな違って「みんな同じ」。次世代と学ぶ命の物語——小西貴士 #保育アカデミー

みんな違って「みんな同じ」。次世代と学ぶ命の物語——小西貴士 #保育アカデミー

保育者の学びの場「ぐうたら村」を汐見稔幸先生らとともに主宰する、写真家・森の案内人の小西貴士さん。「保育を変える、自分を変える」をテーマとする『冬の保育アカデミー』、最終日の講師です。

この日小西さんが提案したのは、教育を“森からのまなざし”で捉え直していくこと。子どもたちの持つ「つながりを感じる力」から、未来の保育の形を模索していきます。

「一人ひとりを『みんな違う』と見ることは大事ですが、一方で『みんな同じ』であると捉えることも、命を考えるときはとても大切だと私は感じています」

前回の『夏の保育アカデミー』に続く、スライドショー仕立ての講義を本記事では一部再現。文字で伝えられる内容には限りがありますが、当日の振り返りや、日々の保育を捉え直すきっかけにしていただけたらと思います。

(この記事は、2021年2月に開催された『冬の保育アカデミー』(主催:大友剛)のオンライン講義の内容を、メディアパートナーとしてベビージョブ編集部が再構成したものです)

“森からのまなざし”で教育を考えたい

小西私は森を舞台にした教育の実践に、もう20年ほど取り組んでいます。いわゆる環境教育や、持続可能な社会の担い手を育む『ESD』(Education for Sustainable Development)の分野ですね。

実際にさまざまな人と森で時間を過ごしてきましたし、幼い人たちともたくさんの経験をしました。そのなかで自ら感じてきたことのエッセンスを、今日は写真と、主催者である大友さんの音楽の力、そしてできる限り私自身の言葉を使って共有していきたいと考えています。

みなさんもぜひ、自分自身の体験に思い切り引きつけて考えてみてください。

『冬の保育アカデミー』講師の小西貴士さん『冬の保育アカデミー』講師の小西貴士さん(右上)

小西私はこの20年、冬になると子どもたちと雪だるまをつくったり、ソリすべりを楽しんだりしてきました。改めてそれを振り返ると、自分の心に深く刻まれた子どもの姿が浮かんできます。

初めて舞い落ちてくる雪ひとひらを、大切に分かち合おうとしてくれる姿。降りはじめの美しい雪景色のなかを、温かな気持ちで歩いた姿。地吹雪の猛威と美しさにひかれて、なかなか帰り道の一歩が踏み出せない姿——。

そんな忘れがたい子どもたちの姿が、「生態系の一員」として生きることへの私の思考を研ぎ澄ませてくれたり、さすったりしてきてくれたように思っています。

雪が降り積もる森

小西雪が降り積もれば、その上にはさまざまな跡が残ります。なかでも私は、幼い人と出会う動物の足跡がすごく好きです。

足跡を見たとき、多くの大人の方は「これ何の足跡ですか?」「シカの足跡ですか、キツネですか?」などと尋ねてこられます。けれど、幼い人はそれをひとつ残らず踏んでみたり、においを嗅いでみたり、動物がはしゃぐ姿を想像したりと、出会いのアプローチが本当に豊かです。

もちろん、何かを知ろうとする問いが悪いわけではありません。ただそれはアプローチのほんのひとつに過ぎず、私たちが生きる世界には、もっとたくさんの考え方、感じ方があっていいと私は思っています。

アーネスト・トンプソン・シートンの言葉

小西アーネスト・トンプソン・シートンは、「足跡を見つけたら、その動物が生きているかぎり、その足跡のつながりの一番先のところに必ずいる」という言葉を残しました。

これは「足跡を追う技術をものにする」ことが前提なので、現代を生きる私たちが同じ発想をすることは難しいかもしれません。それでも彼のような思考が少しできれば、「しばらく追いかけてみよう」とか「どれぐらいの歩幅なんだろう」なんてところから、足跡の見方が変わる可能性があります。

私は、ほとんどの大人が「これは何か?」と聞くことには、今の教育のひとつの特徴が現れているように思うんです。生まれてから大人になるまでに受けた教育の影響で、ほとんどの人が同じ思考をするようになっていくと感じています。

科学で捉えきれない世界を、子どもと分かち合う

小西森を案内する仕事をしていることもあって、私の家にはすごくたくさんの図鑑やハンドブックがあります。そして、図鑑の写真撮影や内容の執筆をしている友人が何人もいます。

彼らと会うときに、よく笑いながらする話があるんです。それは「これほど色々考えて図鑑をつくってるのに、図鑑のぜんぶを足しても森にはならないよね」ということ。

雲の画像

小西私たちの周りにあるものは、図鑑をすべて合わせても森にはならないように、科学で理解しようとしたときどうしても苦手とする部分があります。そのことを、科学者の中⾕宇吉郎さんは「科学の無力を示すものではなく、現代の科学とは場ちがいの問題」と書いています。

感じとしては簡単にとらえられるような法則が、今日これほど発達した科学の力をもってしても、なおとらえ得ないというのは、きわめて変な話である。しかしそれは何も科学の無力を示すものではなく、現代の科学とは場違いの問題であるからである。今日の科学は、その基礎が分析にあるので、分析によって本質が変化しないものでないと、取りあつかえないのである。

『雪は天からの手紙』(岩波少年文庫)の一編「茶碗の曲線」より

小西科学やテクノロジーが大切な時代だと言われます。私もとても大事だと思います。

けれども、科学とテクノロジーだけで理解できるものには限りがあり、それらを追い求めても本当に幸福に寄与するか分かりません。そんな教育の現場で「目の前の幼い人たちと何を分かち合えばいいのか」を、私はもっと深く考えてみたいなと思うんです。

種

小西森には、私が子どもたちと分かち合ってみたい問いがたくさんあります。

ここに張り付いて一休みしている種は、この先一体どこへ行くんだろうかと。

この水面の下には、一体どんな光景が広がっているんだろうかと。

あの雲を上から見てみると、どんなふうに見えるだろうかと。

池にできた氷

小西そして森には、私が子どもたちと一緒に出会ってみたいことがあります。

ある朝起きてみたら、池に想像もしなかった形の氷ができていることに。

クモの巣にかかった雨の滴が、誰かさんの喉をうるおしているということに。

生きたいと生きたいがぶつかった果てに、共に潰えてしまうことに。

蜂

「必要なものはすでにある」から始まる教育へ

小西私たちの社会は、とても複雑に進化してきました。そこに合わせる教育を「森ですべて行える」などと考えるのは、偏りがありすぎるでしょう。

それでも、私たちの生きる地球があまりにも複雑で繊細で、図鑑で捉えきれないほど壮大であることを、教育は置き忘れてはいけないと思います。

幼い人たちと森で過ごす時間は、とても満ち足りたものです。私はそこで、自分がこの先しばらく持っていくような深い問いに出会うことができています。

生存曲線出生者1,000人あたりの生存者数

小西3歳という年齢は、世界の平均寿命が72歳を超える現代からすれば、人生のほんの入り口をくぐったに過ぎないのかもしれません。20歳でさえ「未熟だ」と言われる時代です。

しかし、人間の生存曲線(上図:『平成7年版 環境白書』より)を眺めると、石器時代は「20歳までに約65%の人が亡くなっていた」とわかります。もし20歳が本当に未熟だとして、そのような生命がその後も長く続いてこれたでしょうか。

人間の体は、それほどまでに大きく進化したのか。森から人をまなざしてみると、社会が求める教育や成熟はキリがないようにも思えます。

私たちが生きる世界には、優しい言葉で話し掛けるような相手がいるし、美しい色や形が溢れている。そのなかで「必要なものはすでにある」というまなざしを持つことが、私たちの幸せと大いに関係があるように感じるのです。

小西“命”としての私が成熟していて、必要とするものはもう満ちている。だとすれば、私たちがこれから取り組んでいく教育の形ってどんなものになるのか。

私は未来の社会を考えるとき、「人ならざるもの(ノン・ヒューマン)をどう理解するか」が鍵になると考えています。

人の命が安心して続いていくことを支える、いろんな生命や物質が世界にあり続けること。ここを考えることが、教育や保育の大切な根っこになると思うのです。

“みんな同じ”のまなざしを、命に向ける

小西人ならざるものを考える際に、今日みなさんと分かち合いたかった視点があります。それは“みんな違っていて、みんな同じである”というまなざしです。

よく言われる「みんな違ってみんないい」の言葉。本当にその通りだと思うんですが、持続可能な社会のあり方を考えるときは、ただ違うだけでいいとはならないと感じています。

出会ったものを見て、「やっぱりどこか同じなんだ」って気づくことが、私はとても大切だと思うんですね。

違っていて同じである

小西私もあの虫も「生きてる」ってことは同じで、場合によっては雨の滴ですらも「自分たちとつながっているんだ」と思える。そういう見方や感じ方をすることは、生まれて数年の人たちがとても得意ですね。

石や木に話しかけたり、寄り添っている2つの穴が誰かさんと誰かさんみたいだなと思ったり。「確かに見つめられている」と感じながら歩くような力を、幼い人たちは持っています。

これは生まれてきた頃だけの力で、成長とともにただ消えていくかのように言われることがあります。でも私には、そこに何も意味がないとは思えません。

身の周りで出会うすべてと親密になれる力は、未熟さではなく「豊かさ」とイコールなのだと私は考えています。そして、「本質を一つひとつ分析によって理解していくこと」と「すべてがつながっているという真理に気づくこと」のどちらもが、教育では大切になると思うのです。

やわらかなアプローチのために

小西20世紀半ば以降の教育で、私たちは人以外のものを「資源」と捉えるまなざしを強めてきました。

生きていくために他の命を食べるし、家を建てるために森に生えている木を使う。それは決して悪ではありませんが、「人にとって有用か」を考える視点が強くなり過ぎているように思います。

短期的に見た使用価値だけではなく、「存在していることそのものに価値がある」と捉える長期的なまなざしを、私たちはもっと持つ必要があるのではないでしょうか。

子どもたちと木の実を見つけたとき、「少し分けてもらってネックレスをつくろう」と思うと同時に、その実自体が「誰かの命をつないでいくもの」だと感じたり。毎年のようにドングリを落としてくれるこの木が、ずっとここにあってくれるために何ができるかと考えたり。そんなことを、教育のなかでもっと子どもたちと一緒に学んでいきたいと私は思っています。

命の「物語」が失われた時代に、それでも教育ができること

小西先日子どもたちと森を歩いていて、雪の重みで折れてしまった木の枝に出会いました。自分以外のものとも、どこかで通じあってるかもしれない……そんな感覚を持つ幼い人たちは、「痛そう」「かわいそう」といった言葉を伝えてくれます。僕もその感情を「そうだね」と共有させてもらいます。

そこから枝に近寄っていくと、今度は表面に細かな傷、シカが食べた跡に気づく。そして幼い人は地面と近いから、その糞も見えてきます。「ああ、ここで食べてうんちを出したんだ」ってわかるわけですね。

木は朽ちてしまったけど、それによって生かされているものがいる。森ではこのわずか1m×1mのなかに、そんな大いなる「物語」が入っています。

朽ちた木

小西これが都市公園のようなところになると、「落ちてくる枝があるなら事前に切っておこう」、あるいは枯れてきても「危なくないよう、切って持ち出してしまおう」となりがちです。

そうやって命の物語に出会いにくくなってしまった社会では、循環の教育を学校でするようになりました。しかし、例えば高校の生物であれば、それが教科書で扱われるのは3年生の3学期。今のシステムのなかで、どれくらいしっかり学ぶことができるでしょうか。

積み重なった死に包まれるようにして、次の命が生まれてくる。その循環の物語を知ることは最も大切な学びの一つです。これを次の世代の人たちと分かち合っていくことを、私は諦めてはいけないと思っています。

小西地球環境問題が「待ったなし」のなかで、科学やテクノロジーがとても大事だと言われます。保育にもそれを取り入れていこうとする時代です。

けれども、私は科学やテクノロジーのなかに物語がもっと入る必要があると思います。そんな学びの形をもっと模索していけたらと、いつも考えているんです。

命のつながりや、生態系の一員として生きることと、日々の教育や保育をどんなふうに結びつけていけばいいでしょうか。未来を見て、そこを諦めないで考え続ける時間を、またみなさんとご一緒できればうれしいなと私は思っています。

小西さんからのメッセージ

※ 90分の講演内容から、小西さんのメッセージを記事として再構成しました

講師:小西 貴士(こにし たかし)
写真家(photographer)。森の案内人(nature interpreter)。2000年より八ヶ岳南麓の自然学校を舞台に、環境教育およびESDの実践に取り組む。現在は汐見稔幸氏らと共に、自然に抱かれた保育者の学びの場「ぐうたら村」を主宰。著書に「子どもは子どもを生きています」など多数。
企画・主催:大友 剛(おおとも たけし)
ミュージシャン&マジシャン&翻訳家。「音楽とマジックと絵本」で活動。NHK教育「すくすく子育て」に出演。東北被災地に音楽とマジックを届ける『Music&Magicキャラバン』設立。著書に「ねこのピート」「えがないえほん」「カラーモンスター 」など多数。YouTubeで発信中。

(構成・執筆/佐々木将史

<『冬の保育アカデミー』の続編となるセミナー『春の保育アカデミー』が、2021年5月に開催されます(Peatixにて受付中)。すべての講演で6月末まで見逃し配信に対応、団体申し込みの場合は臨時職員・保護者への無料招待つき。詳しくは下記サイトをご覧ください>

保育アカデミー公式サイト

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