手ぶら登園保育コラム

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『観察』と『振り返り』で子どもの物語を支える——汐見稔幸 #保育アカデミー

『観察』と『振り返り』で子どもの物語を支える——汐見稔幸 #保育アカデミー

子どもの傍にいること、育ちの環境をつくること、主体性を引き出すこと……。「保育とは何か?」という問いには、保育者によって、あるいは切り口によってさまざまな答えが生まれます。

2021年2月に開催された『冬の保育アカデミー』のテーマは「保育を変える、自分を変える」。登壇者のひとり汐見稔幸先生(日本保育学会会長)も、その講演のなかで「保育を捉え直す」たくさんのヒントを与えてくれました。

一人ひとりの『伸び型』を、あるいは『生きがい』を探すことではいか。そこでは、傍観者的な『観察』や面白がるような『振り返り』が重要ではないか。

これらの意味を、教育の変化や先生ご自身の体験をベースに解説いただきました。

(この記事は、『冬の保育アカデミー』(主催:大友剛)のオンライン講義の内容を、メディアパートナーとしてベビージョブ編集部が再構成したものです)

見失ってはいけない「幼児期の教育」の二つの柱

汐見今回の冬の保育アカデミーでは、保育を「これまでと違う視点」から捉えることで、改めてこの営みの奥深さを皆さんと共有したいと考えています。

その前提として、まず「教育」の意味を根本から見直すところから始めさせてください。

『秋の保育アカデミー』講師の汐見稔幸先生『秋の保育アカデミー』講師の汐見稔幸先生

汐見今までの日本の教育は、明治に始まった学校教育がメインでした。主に「競争に勝たせる」ことを目標にしたもので、家庭での教育もそこに大きな影響を受けてきています。

当時の日本は、ヨーロッパ諸国に負けない近代国家をつくる必要があり、その担い手を育てるため強制的に学校へと来させていました。戦後になって、民主主義や産業主義を柱とする国をつくろうとしたときも、やはり学校に期待された役割は「新しい社会に適合する人材」をどんどん育てていくことです。

そんな状況のなかで、一人ひとりの子どもが「どう自分の可能性を見つけていくのか」「どのように自らの生き方を発見していくのか」という課題は、あまり優先されてきませんでした。

ですが今は時代が変わって、それぞれがアイデアを出したり、上手にコミュニケーションをしたりする必要が出てきています。「全員が同じ行動をとれる」よう教育することへの、積極的な意味合いがなくなってきたとも言えるでしょう。

(当日の資料より。以下同)(当日の資料より。以下同)

汐見一方で、「どうやって未来に良い地球を残していけばいいか」の意識を持てるよう、SDGsをはじめ、環境や社会の問題を学ぶこともますます大事になってきました。その意味では、「広く社会に役立つ人材を育てる」という教育の役割は、今も重要な側面としてあると考えられます。

ただし、これを乳幼児期に当てはめて考えるときには、「最初から“社会のため”の教育をしてはいけない」という視点が大切です。これはフランスの哲学者ルソーが、『エミール』という本のなかで主張しています。

彼が訴えているのは、「アムール・ド・ソワ」(自己愛)、まずは自分という人間を深く愛せる力の重要性。そしてもう一つ、人の喜びを自分も喜んだり、悲しみを一緒に悲しんだりする「ピチエ」(汐見先生の訳で共感共苦)の力を洗練させることです。

この二つを柱にしていくことは、今も幼児期の教育の大きな前提になると考えられます。

遊びを“本気”にさせる「没頭」の重要性

汐見では、ここで皆さんにお聞きしてみたいと思います。自分が今のようになるうえで、「このとき人間として大きく育った!」「あの体験が生きている!」と思えるものを人生で三つ挙げるとしたら、どんなものがありますか?

そして、そのエピソードや場面に「◯◯先生に教えられたことが自分のなかで生きている」という経験が含まれる方は、どれぐらいいるでしょうか?

……残念ながら、私にはあまりありません。

もちろん幼少期から、色んな物事に影響を受けてきています。例えば、手塚治虫のマンガが大好きでした。小学生の頃に読んで心の深いところに突き刺さった作品は、大人になってもよく覚えています。

また、小さい時からものづくりの好きな子どもでした。小学校に入る前には自分用の大工道具を一式持っていて、スマートボール(パチンコ)のようなおもちゃを自作したり、お湯が一定の位置まで溜まったらスイッチが入る、お風呂用のブザーを考えてみたり。工作だけじゃなく、畑で毎年のように色々なものを育てたりもしていました。

そこに教えられたということがどの程度入っていますか

汐見ただ、当時やっていたこと全てに対して、私は誰からも指導を受けることはありませんでした。ですから、「どうしていいかわからない」となると、子どもでは無理だと諦めるだけだったんです。

もしその過程で、一緒に考えてくれる大人がいたらどうだったか。傍から「こういうのあるけどどう?」などとアドバイスやヒントをくれていたら、私はそれを遊びのままで終わらせず、全く違う人生を歩んでいたかもしれません。

そのことが今も、とても悔しい思いとしてあるんですね。

人は何かに没頭することで、大きく成長していきます。最初は“遊び”から出発しても、もっとできるかも……と気づいたときに、気持ちが“本気”に変わっていく。そんな「主体的」「没頭的」な学びのプロセスをサポートするのが、まさに教育だと私は考えています。

それがあれば遊びが本気になっていた

汐見遊びには、子どもたちが「自然発生的」に始めるものと、大人が「人為環境的」に与え、子どもがヒントをもらいながら遊ぶものがあります。その2タイプの遊びを、子どもが豊かに経験できることがとても大切なのです。

そのとき、教師や保育者が「ああしなさい、こうしなさい」と言ってもダメで、子どもが自分で自分に合うものを見つけるしかありません。

「自分がやりたいこと」のイニシアティブを子どもたちに渡しながら、遊びがやがて本気になっていくように援助する。これが次世代に対する先行世代の役割であり、そのサポートの“さじ加減”にこそ、保育者の専門性があると考えられます。

保育のなかで『伸び型』と『生きがい』を探す

汐見子どもたちを支援するときに考えなくてはいけないのは、そもそもの興味やこだわりが一人ひとり異なることです。理由は簡単で、持っている遺伝子情報が人の数だけ違うからですね。

仮に何人かが同じ遊びをしていたとしても、よく見れば果たしている役割は異なります。アイデアをまず出す子もいれば、すぐ実践する子どももいる。

そうした姿を見ながら、「あの子はこうやった方が伸びるかな……」と、一人ひとりにあった『伸び型』を見つけていくのが保育です。ひとりで夢中になっているときに伸びるのか、数人のグループでリーダーシップを取るときに伸びていくのか。

その子のことを一番良く知る“コーチ”のような存在になる、とも言えるかもしれません。

保育のとらえ方、別の見方をすると伸び型見つけ

汐見もう一つ、保育を別の形で定義するとすれば、『生きがい探し』『自分探し』の応援と捉えることもできます。

すべての人は一度しか人生を生きられません。そのなかで、子どもであれば「今日こういうことができるようになった」「うまくいかなかったから今度はこっちをやってみよう」とか、「◯◯ちゃんとケンカして頭に来た」「昨日は◯◯ちゃんと仲良くなった」などと、いただいた命で日々たくさんの“物語”を作っていくわけです。

その子の命がより輝き、物語が深く充実したものになるよう応援することが、私は保育だと考えます。そして、子どもが没頭できるものを探し、園生活が楽しくて「ここに生きがいがある」と感じられるようにしていくことが、保育者の役割になるんですね。

子どもの生きがい探しと自分探し応援としての保育

子どもの姿を捉えるための『観察』——保育中の模索

汐見では、実際にどうやって『伸び型』を見つけたり、『生きがい探し』を応援したりすればいいのか。保育中と保育後の、大きく二つに分けて考えてみます。

保育中の模索には、遊び始めるときの関わりや、子どもが本気になったタイミングでの『参与』などがあります。ですが今日は、子どもの姿を見極めていくときに重要な『観察』のあり方についてご説明します。

子どもの姿を捉えるための『観察』——保育中の模索

汐見子どもたちの行動を観察するときに、よく「わあ、すごい!」などと“共感的”な関わりをする方がいますが、これはあまりやらないほうがいいと私は思っています。過剰に共感することによって、子どもの心のなかに入り過ぎてしまう可能性があるからです。すると、子どもはうれしい気持ちと同時に、先生が言ってることがどんどん気になってしまうんですね。とはいえ、“心理学者的”な観察というか、突き放して冷静に見るのも子どもにとっては迷惑な視線になります。

私が良いなと思うのは、“傍観者的”な観察です。傍らにいて、同時にその子を温かく見ている観察者のイメージですね。ある意味で「いい加減な観察者」とも言えるかもしれません。

またそうした心理的な距離の取り方に加えて、「どの程度離れてそこにいるか」という物理的な距離も、保育では大きく問題になります。それを4段階で示したのがこの図(下記)です。

子どものとの物理的距離

汐見保育者が観察するときには、一番外側の【緑】が、実は子どもから見て「近くも遠くもない」場所ではないかと考えています。傍らで見てくれている、そして目で応援してくれていることだけを子どもはきちんと感じる。逆にそれ以上のことは感じさせない、子どもを最も信頼した距離ですね。

これに対して、普段から【赤】や【茶】の距離にいる先生は、もしかしたら近づき過ぎかもしれません。少し厳しい言い方をすれば、「子どもがいつも甘えてくれる」ことを自分の救いにしている可能性もあるわけです。

そうではなく、その子がいることをただ「いいな」と感じている。行為ではなく「存在」の意味に目を向けることが、子どもの求めているものに近いのではと私は考えています。

面白さを見つける『振り返り』——保育後の模索

汐見保育中の『観察』に対し、保育後に重要となるのが省察、つまり『振り返り』です。

振り返りには、その日にあったエピソードを「まずは楽しく語り合う」時間をつくってほしいと思います。深刻な反省になるものではなく、子どもといて発見したこと、教えられたことなどを、毎日5分でいいので話す場を用意してほしいんですね。

そのとき大事なのは、とにかく肯定的に「面白がる」ことです。「どうしてあんなことに長い時間没頭できるのかしら……子どもって面白いね」「どうしてあんなのが好きなのかしら……きっと◯◯ちゃんの感性に引っ掛かってくるのよね、面白いね」と最後に必ず“面白いね”とつけるだけで、子どもの見え方はずいぶん変わってきます。

この伸び型見つけ、は、いつどこでだれが?

汐見逆にやってはいけないのは、大人が「上手か下手か」といった勝手な価値づけをしてしまうこと。それと、単純な因果関係で子どもを「理解」したつもりになることです。

最近はあちこちで「子どものことを理解する」と言われますが、私はその言葉がひとり歩きすると危険だと思っています。理解と言っても、人の行動の理由を「正確に知る」なんてことは実は誰にもできません。私は、理解とはあくまで「子どもが前を向くために、今どこを支えればいいかを見つけること」だと考えているんです。

(前回の『秋の保育アカデミー』登壇記事を参照:“色眼鏡”から始まる保育者のまなざし。想像×共感の先にある「子ども理解」

特に幼ければ幼いほど、人間の行動は学習による影響が少ないんですね。その子の無意識の世界が叫んでいたり、時には遺伝子が何かをやりたがっていたりすることがある。また、「3歳のときにこんなことやったよね。あの経験が今も生きているのかもしれない」といった形で、子どもの生育史を感じることもあるでしょう。

そうした動機の多層性や歴史性も含めて、人の行動は「分からない」ものだと知ることが大切です。

面白がるのは…

汐見ただし、保育者は「子どものことは分からない」という謙虚さを持ちながらも、面白がることを通じて「深い意味であなたの味方になるよ」とサインを送ることが大事です。

一見矛盾するようですが、私はこれこそが保育の機微だと考えています。ある意味では、面白がるとは「子どもへの結論を出さないこと」とも言えるかもしれません。

子どもをネガティブな感情で捉えず、「人間ってすごい」「人には未知の可能性がある」といったまなざしで子どもの姿を振り返ることを、ぜひ心がけていただきたいと思っています。

『応答的』な関係性を子どもと築く

汐見最後にもう一つ、皆さんにお伝えしたいキーワードがあります。それが『応答』です。

かつて宮原英種さん、宮原和子さんご夫妻が『知的好奇心を育てる応答的保育』(ナカニシヤ出版)などの出版をされて以降、あまり本に出てこない言葉ですが、私は「応答的な保育」という考え方は非常に大切だと思っています。

その前提にあるのは、人間の行為を「相互作用」として見ること。要するに、子どもと周囲との関係性に着目していくんですね。

応答としての保育

汐見例えば園で子どもたちのトラブルが多かったとき、「やっぱり躾けがなってないから……」などと捉えるのでなく、“人”つまり私たち保育者との相互行為のなかに、何か要因がないかと見直すわけです。

すると、子どもが荒れてしまう責任は決して子どもにはないとわかる。これは教育に携わる人間が、常に考えなくてはいけないことだと私は思っています。

また、相互作用にはもう一つ、“モノ”との相互作用もあります。遊具、教具、壁、その他の調度、園庭、風、光、自然……周りのものすべてが、子どもたちに影響を与えますよね。

そこでポイントとなるのは、子どもたちが何かに没頭しようとするとき、モノがうまく応答してくれるかどうかです。ちょっと引っ張ってみたら動くとか、低い木だから登りやすいとか。子どもの持っているスキルで対応できたり、ちゃんと反応を返してくれるようなモノを準備していることが保育のなかでは重要になります。

汐見先生

汐見応答としての保育がうまく働けば、子どもの行為のレベルはどんどん上がっていきます。

そのために必要なのは、子どもに対して「あなたは何を今したいの?」「あなたは何をしてほしいの?」という声を聞き取ることです。けれど、それを子どもが自分で表現するとは限りません。

あらゆる仕草や表情から、保育者が聞き取ったり感じ取ったりする。そして、そこに丁寧に応じていく。そうした子どもとの豊かな相互関係が、「保育の質」をつくっていくと私は考えています。

※ 90分の講演内容から、汐見先生のメッセージを記事として再構成しました

講師:汐見 稔幸(しおみ としゆき)
日本保育学会会長。東京大学名誉教授、白梅学園大学名誉学長。専門は教育学、教育人間学、保育学、育児学。保育についての自由な経験交流と学びの場である『臨床育児・保育研究会』を主催。21世紀型の身の丈に合った生き方を探るエコビレッジ『ぐうたら村』を建設中。著書に「汐見稔幸 こども・保育・人間」など多数。
企画・主催:大友 剛(おおとも たけし)
ミュージシャン&マジシャン&翻訳家。「音楽とマジックと絵本」で活動。NHK教育「すくすく子育て」に出演。東北被災地に音楽とマジックを届ける『Music&Magicキャラバン』設立。著書に「ねこのピート」「えがないえほん」「カラーモンスター 」など多数。YouTubeで発信中。

(構成・執筆/佐々木将史

<『冬の保育アカデミー』の続編となるセミナー『春の保育アカデミー』が、2021年5月に開催されます(Peatixにて受付中)。すべての講演で6月末まで見逃し配信に対応、団体申し込みの場合は臨時職員・保護者への無料招待つき。詳しくは下記サイトをご覧ください>

保育アカデミー公式サイト

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